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KOLOからのお知らせ休業と再開の説明最終更新日:2016年8月2日
2014年8月に年内で一度オーダーメイド事業は休業し、再開はいつになるか分からないと発表しました。その休業と再開に関して、どうなっているのかということなのですが、 このページにて説明させていただきます。
読むのが大変なので、簡単に説明させていただくと『休業の準備を進めていたら職人のストライキにあい、交渉条件が折り合わず職人はすぐ辞めてしまいました。注文の残りが多かったので新しい職人を探さなければならなくなりました。その影響で一度は休業しましたが、比較的早く小規模に再開しています。ただ今後についてはまだ様子を見ている段階です』 サイトで発表したこと
具体的な一連の流れ
細かい事情の説明当店は1999年頃始めたのですが、当初からこの仕事は長くは続かないだろうと思って始めました。それは
ということが、以前から分かっていたからです。 また 生地屋がどんどん少なくなり(日本でもそうだと思います)、生地が高くなり、材料も買えないものが増えてきて、人件費も高騰し、以前のような品質を維持していくことは、難しくなるだろうと思いました。価格をすごく上げれば維持はできますが、価格を上げると3,4割注文が減ります。 そしていつ撤退するべきか常に考えていたのですが、自分としては円安と中国の物価高がピークに達した2014年にそろそろ潮時ではないかと思い、2014年8月にしばらく休業しますと公表させていただきました。 この時は、もともと最低1年間、日本へ帰国し今後のことは、その時になってから決めようという気持ちでした。 ただし休業を発表した時から注文が殺到してしまい(オーダーメイドが200着?ぐらい)仕事が順調でも作るのに4か月はかかりそうでした。 このため一度日本へ帰国する話は立ち消えになってしまい、とりあえず受けた注文は作り(中国側に任せて帰ってもよかったのですが心配なのでしばらく帰らないことにしました。 また2−3割ぐらいの理由としては、2014年11月頃、急に超円安になってしまい日本で働いても人民元換算の給料が2012年比で4割減ぐらいになるということも考慮しました。当時日本と中国の給料が変わらないという変なことになっていました。 2014年8月以後に受注した注文がいつ作り終わるかというのは、大体2015年6月末になるのではないかという感じでした。やってみないと分かりません。 実はこの間
とずっと決めかねていました。なぜなら実は生地の在庫が結構あるので、しばらく休業した後、小規模にして再開しなければならないと思っていたからです。ただ再開後は在庫が出ないような方法で商売をしなければなりません。生地の在庫はたぶん買った値段で300万円ぐらいなのですが、これを処分した場合、二束三文です。商売道具は、子供のようにかわいいのでこれは耐えかねます。 在庫問題以外にも、当店が衣裳を作っている楽団がいくつかあります。楽団衣裳の問題をどうしようかとも思っていたのですが、最悪の場合、私が信用できる職人に外注させようと思っていました。このような衣装でも年間80着ぐらいあります。 あと職人への説明の問題もあります。私は早い段階で公表した方がいいという意見でしたが、中国人経営者は35日前ぐらいに話す方がいいという意見でした。その人の意見は、その話をした後は、職人はドレスのことは全く考えなくなると言っていました。(基本的に中国のことは中国人に任せています)。 実はこの休業の話が2015年5月上旬、私が日本に帰国している時に、生地屋から職人に漏れてしまい、職人は大慌てになりストライキを始めすぐに操業が全面的にストップになります。(どうして生地屋から漏れたかは、最近閉鎖の準備をして生地を買っていなかったからです。それをうちの中国人経営者が生地屋に言ってしまい生地屋がたまたま仕入れに来た職人の友達に話してしまいました。) 職人はいくつかの条件を言い当店の中国人経営者を通して「明日中に決めてくれ。要求をのめない場合、もう明日からやらない」と言いました。自分がいない時にそういうことが起こるとは、タイミングが悪いと思いましたが。その時は、私はいませんでしたが、交渉がもめて警察が来たそうです。私は以前の職人と喧嘩はしていないのですが、中国人経営者は喧嘩をしてしまい今でもまだ口もきいていない状態です。 それで私は日本にいたので、職人に伝言してくれるようにメールで伝えました。「何も完全に止めるわけではなく、そんなに慌てなくていい。明日というのは無理だ。毎月一定量既製品を作っていく方法もある」など言いますが、どうしてもというなら、辞めることを止めるなと中国側に言いました。経営者が日本にいるのに即日話し合いができるわけはありません。それでわざというのは普通ではなく、お互い大損するのは確実です。 これで作っていないオーダーメイドを2,3か月分残して、工場が完全にストップしてしまいます。既製品も2か月分あるので4,5か月分残してストップです。 工場が止まったのはいいとして、作っていないものがたくさんあるのでは大問題です。これはお金の問題だけではないです。 仕方ないので、市内で他の職人を探そうといろいろやってみますが、私たちのデザインが多すぎたり、それを任せるのは不安だったりと簡単なことではありません。日本で下駄職人を探すみたいに難しいことです。作り手によって多少雰囲気が変わるので、そういう心配もあります。 そこで、中国人経営者が、以前働いていた人に作ってもらうと言い出しました。私はそれは任せる(職人の管理はもともと中国人経営者に任せています)と言って、結局以前の職人に戻ってもらうことになりました。(ストライキを起こした人ではありません)。それが2015年7月頃の話です。その人はもともと違う仕事をしていました。 私たちはその新しく来た職人さんには、「今後はいつ止めるか分からないから、それは初めに知っておいて欲しい。」と言ってあります。今回職人に借りができてしまったため、2015年8月頃から小規模ながら多少注文を受け付けることにしました。 経営者と職人との関係は、日本人が思っているようではないかもしれません。この関係はイーブンでどちらが上というのはありません。私たちも職人が損をしないように経営し、職人は代わりに品質を守ります。そうでなければ、数年も続きません。 その職人は2000年から2013年まで当店で働いていましたので仕事は熟知していますが頑固です。ちなみに当店は一番多い時で職人が6人いました。2016年8月現在はボタン職人1人、裁縫職人2人を用意できます。(職人以外に管理部門の事務員みたいな人が何人かいます) また実はこのストライキの問題の他にもう1つ大きな問題がありました。それは中国人経営者(中国人経営者は1人だけ)の父親が、ちょうどストライキが起こったすぐ後の2015年5月20日頃、バイクに乗って車に衝突するという事故が起こりました。 それで半年間ぐらい入院をすることになってしまい、今でも松葉杖でやっと歩ける程度です。中国は1人っ子のため面倒を見るのが大変で、毎日病院に行ったり、ご飯を持っていったり、いろいろ用事があり、私も仕事のことを言える状況でなくなっています。 それで2014年秋頃から始めた日本のものを中国に輸出する仕事も、やっていますが、あまり指図できない状況です。 事故の件は、現在まだ相手側と裁判中で、病院で資料をもらうのに何度も出向いたり、以前の勤務先でどういう資料が必要だとか、頻繁に出かけています。 相手側からもいやがらせの電話などかかってくるようで、そのせいではないですが、気分が悪く蕁麻疹が発生するようになってしまったそうです。それで余計仕事のことを言えなくなっています。 チャイナドレスの仕事のこと、在庫のこと、家族の健康状態、社員のこと、職人のことなど、不動産も高くなっているので赤字にならないか、総合的に考えなければならないので、現在は以前の半分以下にして、続けていますが、今後どうしていくかはずっと検討しております。 理想としては、今後は全売上の8割(現時点では3割)ぐらいを生地販売にしたいのですが、生地を買っていただけるお客様がいなければできないので、そうなるかどうかは分かりません。生地販売は工場と職人が必要ないため固定費が安いので。 |